ホンダコレクションホールに行こう!展示車両まとめ
こんにちは。
今回は栃木県茂木町にある、ツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールについての記事です。
※以前あった記事をまとめて作り直しています。
ホンダコレクションホールとは?
栃木県茂木町にあるサーキット場、ツインリンクもてぎ内にある文字通りホンダの4輪、2輪、レーシングマシンを展示してある施設です。
ホンダの歴史といっても過言でない展示車の種類、数となっておりホンダファンのみならず、車好き、バイク好きが楽しめる施設になってます。
またこのコレクションホールの特徴は、ほぼ全てがエンジンが始動し走行できる動態保存になっているのが特徴で、週末には展示車両が走行するイベント、ウィークエンドランが実施されています。
ホンダコレクションホールのあるツインリンクもてぎには、最高速50Km/h以上の本格的なレーシングカートや子供が楽しめるカートやミニバイク、アスレチックなどがあり、家族で楽しめるレジャー施設となっています。
展示車両紹介
ホンダコレクションホールに展示してある車両を紹介していきます。
時期によっては展示車両が異なる場合もありますので、お目当ての車がある場合は公式サイトを事前にチェックしてください。
2輪市販車
自転車用補助エンジン
元々は機織り機を作るために立ち上げた本田技術研究所(今の本田技研工業の前身)が第二次世界大戦終了後に余っていた陸軍の無線機用発電機のエンジンを自転車に取り付けたもの。
エンジンも車体もホンダ製ではありませんが立派なホンダ製品第一号と言えるものです。
A型補助エンジン
エンジンを自社設計した最初の製品。
現在に至るまで2輪製品に付いている、ホンダのウィングマークのルーツとなるエンブレムが付けられています。
ドリームD型
フレームまで自社設計とした初の製品。
現在も使われるドリームが最初に付いたバイクです。
ドリームE型
当時としては画期的なOHV機構を採用したエンジンを搭載。
D型では達成できなかった箱根の峠越えをすることができました。
スーパーカブ(C100)
言わずと知れたスーパーカブの第一号モデル。
1958年から発売され現在まで大きな変更なく販売され続けています。
裏話としてこのモデルの試作車を見た藤沢武夫氏(当時専務)が創業者の本田宗一郎氏に3万台売れると言ったそうです。
宗一郎氏は「年間でそんなに売れるのか」と喜んだそうですが、藤沢氏は「月間3万台」と言い直したそうです。(当時の日本全体のバイクの月間売上が2万台の時に!)
事実2年後の1960年には月間3万台を余裕でクリアする年間564365台を生産します。
ドリーム CB750 FOUR
世界のバイクに対抗するために開発されたバイク。
750cc4気筒エンジンや量産車初の油圧ディスクブレーキなどを搭載し、初めて200km/hを突破しました。
ドリーム CB400FOUR
4気筒エンジンを搭載した中型クラスのバイク。
当時流行し始めた4-1のエキゾーストパイプが非常に綺麗です。
Z100
Z100ってなんだ?って思う方がいるでしょうが、形を見ればわかると思います。
モンキーの元祖になります。
市販車ではなく当時あった多摩テックの遊具(!)として開発されました。
これを元にモンキーが開発されます。
NR
後で紹介する楕円ピストンエンジンを搭載したNR750の実質市販バージョン。
車両価格は520万円・・・
4輪市販車
T360
ホンダ初の四輪市販車。(よく後述のS500と間違われますがこちらが先)
当時の軽規格に収まる軽トラですが、DOHC4気筒エンジンを搭載してるというスーパートラック。
そしてこれが日本車初のDOHCエンジン搭載車(!)になっています。
S500
乗用車としてはホンダ初。
T360と同様DOHCエンジンを搭載し、FR・オープンという典型的スポーツカー。
内装も当時らしくシンプルですが、レッドゾーンが9500回転からというのが只者ではない雰囲気。
余談ですが日本車で初めて赤いボディカラーが設定されました。
それまでは赤は緊急車両以外禁止でしたが、本田宗一郎氏がイメージカラーを赤にすべく運輸省と交渉したそうです。
N360
実質的なホンダ初の乗用車。
他社が2ストロークエンジンを使用する中、4ストロークエンジンを採用。
同排気量であれば馬力で不利な4ストロークエンジンですが他社を上回る31馬力を発揮。
初期のホンダのヒット作となります。
バモスホンダ
もうなんと言ったらいいかわからない変態クルマ(誉め言葉)。
見ての通りドアがありません。
まさに物理的な意味でバイクみたいな車です。
Z
N360をベースに販売された車。
リアの意匠から水中メガネの愛称がつきました。
1300クーペ
空冷エンジンの限界を狙った車。
どうしても冷却が厳しくなる空冷エンジンですが、このエンジンはシリンダー内部に空気の通り道を作ることによって通常外からしか冷やせないのを中から冷やそうとしたもの。
ところが、通り道を作ることによりエンジン重量の増加、コストの増加など空冷エンジンのメリットがなくなってしまうというまさに迷作となってしまいました。(補足すると1300ccで115馬力とパワーは当時としてはかなり優秀)
この1300クーペは本田宗一郎氏が空冷に固執するあまり作られたと言われていてこの失敗が引き金で宗一郎氏は社長を引退することになります。
シビックCVCC
1970年にアメリカで制定された排ガス規制法であるマスキー法を世界で初めてクリアした車。
この排ガス規制の厳しさから世界中のメーカーが「クリアは不可能」という中、当時自動車メーカーとしては弱小だったホンダがこのCVCCエンジンで初めてクリアすることになります。
基本的な原理としてはガソリンと空気を混ぜて燃やすことによりエンジンは動きますが、このときのガソリンを薄くすると排ガスを綺麗にすることが出来ます。
しかしただ薄いだけだと失火しやすくなりパワーがでないばかりか、未燃焼のガスによる有害物質が発生します。
そこで通常1つしかないガソリンを燃やす部屋を大小二つの部屋に分け、小さい部屋(副燃焼室)で一度濃いガソリンを燃やし、その炎で大きい部屋(主燃焼室)の薄いガソリンを燃やす仕組みです。
当時は非常に画期的なものでしたがエンジンの電子制御や排ガス浄化装置である触媒の進歩により、採用はされなくなりました。
しかし最近のF1やSUPERGTのエンジンではこの副燃焼室のアイデアが用いられていると言われています。
シティ&モトコンポ
当時としては非常に背の高いコンパクトカーとして販売され、人気となりました。
同時にモトコンポという折りたたんでシティのトランクに搭載可能なバイクも発売。
ただモトコンポは当時あまり売れなかったみたいです。
しかしその後「逮捕しちゃうぞ」などの漫画等で取り上げられ今ではプレミア価格になってます。
NSX-R
NSXの高性能バージョンとして発売され、初めてTYPE Rが付けられたモデル。
オールアルミで比較的軽量なNSXをさらに軽量化するべく、遮音材の撤去やオーディオ・パワステの撤去、一脚80万(!)するレカロ社製のバケットシートなどでコンパクトカー並みの1230kgまで軽量化。
鈴鹿ではあのアイルトン・セナ氏も試乗しています。
2輪レーシングマシン
RC142
当時世界選手権の中でも重要だったマン島TTレースに初めて出場したマシン。
ヨーロッパのメーカーとの差は大きかったですが、最高位6位で入賞を果たします。
RC143
ホンダがロードレース世界選手権参戦2年目で初優勝を飾ったマシン。
2020年現在までに800勝以上してる優勝数の記念すべき1勝目です。
RC149
125ccという小排気量ながら5気筒エンジンという多気筒を採用したマシン。
背景には他社の2ストロークマシンに対抗するために多気筒化による高回転化が必要でした。
34馬力を20500回転で発揮する超高回転マシンです。
NR500
1979年にWGPに復帰した際の最初のマシン。
4ストロークのマシンで参戦するにあたり、2スト勢に勝つためには20000回転まで回るエンジンが必要になり、8気筒のエンジンであればそれを達成することが可能でした。
しかしレギュレーションで4気筒までに制限されていたため隣り合う気筒同士をつなげたこのエンジンが開発されました。
残念ながら成績は奮いませんでしたが、V型エンジンの技術はその後の市販車・レーシングマシンに役立つことになります。
NSR500(1989年)
個人的に好きなロスマンズカラー。
ヤマハから移籍してきたエディ・ローソン選手が1年目でタイトルを獲得します。
NSR500
15戦中15勝と圧倒的な速さを見せたマシン。
1989モデルも含めてNSRのエンジンは1軸クランクになっています。(他社は2軸クランク)
NSR250(2001年)
故加藤大治郎選手が250クラスでチャンピオンとなったマシン。
大治郎選手は当時の250クラス年間最多勝を記録しました。
4輪レーシングマシン
RA271
ホンダ初のF1マシン。
V型12気筒エンジンや、今のF1では当たり前になっている4バルブ・エンジンを車体の一部として使うストレスマウントなどを初めて採用していました。
しかし当時のホンダはF1マシンはおろか4輪の経験もほぼなかったので車重の重さやトラブルなどの問題を抱え、それらを解決するのは翌年のRA272になります。
当初は金色に塗られる予定でしたが、当時のF1は国ごとにカラーリングが決まっており(ナショナルカラー)、金色は南アフリカの色になっていたため白+ワンポイントで赤という色になりました。
この色が現在タイプRで用いられるチャンピオンシップホワイトになっています。
RA272
ホンダF1初=日本車初の優勝マシン。
前年のRA271の問題点を解消し、見事優勝を飾りました。
ホンダだけでなく、その後350勝以上するグッドイヤータイヤの初優勝でもあります。
RA301
第1期ホンダF1最終マシン。
この頃トレンドになりつつあったリアウイングなどの空力パーツが装着されています。
ウィリアムズホンダFW11
エンジン供給後初のコンストラクターズタイトルを獲得したマシン。
予選時には、1500ccのエンジンから1500馬力以上を発揮していたモンスターマシンです。
マクラーレンMP4/4ホンダ
16戦中15勝というF1史に残る最強マシンの一つ。
アイルトン・セナ選手初のタイトル獲得マシンでもあります。
前年も最強エンジンとしてタイトル獲得のホンダエンジン、セナ選手アラン・プロスト選手といった時代を代表するドライバー、当時トップチームのマクラーレンというまさにドリームチーム。
当時のF1のターボエンジンは厳しい制限が掛けられており、300キロのレースを150リットルの燃料で走らなければならないなどの規制がありました。
これに他メーカーが苦しみターボをやめるメーカーもあるなか、ホンダは逆手に取って燃費をクリアしパワーもあるエンジンの開発に成功します。
RA106
第3期初優勝(結果的に唯一の)マシン。
ホンダとも縁が深いジェンソン・バトン選手の初優勝マシンです。
RA108
空力パーツの制限があまりなかったためパーツが至る所にあるマシン。
フロントノーズ上のウイング(通称ダンボウイング)やホイールカバーなど。
あまりにも増えたため、翌年からレギュレーションで規制されます。
ダラーラ DW12
2017年に世界三大レースの一つ、インディ500で佐藤琢磨選手が初優勝したマシン。
日本人初優勝の偉業を成し遂げました。
企画展の車両
ここからは期間限定の企画展の車両なので現在展示はされていませんのでご了承ください。
カワサキ 900 Super4
Z1の型式名の方が有名ですね。
2019年の東京モーターショーでシリンダーヘッドが再生産されることでも話題になりました。
スズキ RE-5
国産バイクとしては唯一のロータリーエンジン搭載車。
ロータリーはマツダが有名ですがスズキにもあったんです。
オイルショックと重なり商業的には成功とは言えませんでした。
マツダ 787B
日本車初のルマン24時間制覇、そして唯一のロータリーエンジンでの制覇車両です。
普段はマツダ本社でしか見れない実車がこの時はコレクションホールに貸し出されていました
雑談
こっからは車両の細かい所についての雑談なので読みたい人だけどうぞw
F1のタイヤ
F1初期は市販車と変わらないような溝付きのタイヤでした。
幅もかなり細め。
1970年代に溝のないスリックタイヤが登場します(写真は1988年)
溝がない代わりに接地面積を最大に取れること、タイヤのゴムが特殊で路面との摩擦熱で溶けてグリップを最大に得るのが目的です。
ただ1990年以降になると空力の進化もあり、マシンが速くなりすぎてしまいます。
FIA(国際自動車連盟)はタイヤの幅を細くし、グリップの低下を狙いますが、細くなったことによって空気抵抗が減りストレートスピードが速くなってしまう始末。
そこで登場したのが溝が入ったタイヤ(グルーブドタイヤ)
雨用の溝ではなくタイヤは太いまま設置面積を減らすのが目的です。
1998年に登場し10年間使われましたが、2009年に空力が制限される代わりに再びスリックタイヤに戻りました。
F1のハンドル(ステアリング)
1960年代のステアリング、メーター。
非常にシンプルです。
この頃はステアリングが真円です。
いきなり時代がすっ飛びますがこちらは2006年 RA106のステアリングホイール。
ステアリングとメーターがセットになり操作するためのボタンも多数あります。(2020年現在は形はほぼ変わりませんがスイッチ類がさらに増えています)
現在のF1はハンドルは90°ほどしか切れないので真円である必要もなし。
メーター、操作のスイッチがひとまとめなのでハンドルの値段だけでも数百万~1000万円!
まとめ
ホンダコレクションホールについての記事でした。
ホンダファンであれば一度は訪れていただきたい施設です。
また興味がない方もこれを見て少し興味を持っていただけると嬉しいです。